若いって凄いな
私がまだ、10代だった頃、
他所で働きたかった、それも舞妓さんになりたかった。
又々片道のお金だけを持って、妹まで引き連れて行っちゃた(妹は置いて行くべきだった)
でも、京都に着いたらホテルの事を全く考えてもいずに、馬鹿な私。
引っ越した妹の友達の家にその友達も居候の身なのに、
その子に一泊させてもらう為、
妹に着いて来てもらった。
私は家出のつもりでなくて、就職したら、家に今の住所を親には教えるつもりだったのに、若さは怖い。
娘二人が急に居なくなった父は慌てて、私達を探したりしたみたい。
その日の内に妹の友達が居候して居た家に母から電話があった。
父が私達を探してくれて助かった。
私達はその家を追い出されそうだったし。
その友達のお父さんは父に雇われて居る男。父は割り出したり、訊き出したり、本当に父には感謝しかない。
父は私達が九州に帰るお金を速達で三万円送って来てくれた。
翌日は1日観光して旅館に泊まって、九州に帰ったよ。
父親には子供想いの人だったし、頭も良かったから、一度も怒られた事もないし、叩かれた事ない。
こんな事をして帰っても怒られもしなかった。
優しい父です。
料理も教えてくれたり、顔をを合わせると(早く結婚しろよ)と心配もしてくれた。
母は反対に(結婚は遅くでいいとか、陣痛は痛いよ)とか。
マイナスな事ばかり云って。母は料理も下手です。
字も読めず書けずの本嫌い。でも、両親の子供想いは共通、
母は母性本能はあるみたいだ。
若いって無謀だ
母は天然なのと無責任な性格をして居る。中2の私が(九州に行く)と言っても、普通の親は行かせないです。それも片道分のお金と妹と二人だけで。反対もしなかった。
私は京都駅に行くと駅員にしつこく九州行きのの道順を訊いて、博多で九州行きに乗り換えて、無事に九州に着いた。途端、余りの田舎に帰りたくなった。でも、帰りのお金もない。
覚えて居た祖母の家に小学生の自分に何度も行った祖母の家に行くバスの乗り道を覚えて居たので、祖母の家に着いた。1日で京都に帰りたくなった。子供って無茶するなあと思ったのは、帰りの運賃やらない、泊まる所などを全然考えてもない行動をする事だ。
田舎の一週間は長かった。京都に比べて、当時の故郷は田舎過ぎるのと活気が全くなかったのだ。黙って父に行ってしまった九州なのに、子供想いの父は帰りの運賃代をちゃんと送って来た。
ブルートレインに乗って昼の新大阪駅に父達は迎えに来てくれた。電車に乗って京都まで帰った。
二度と九州に帰るもののかと私は心に誓いました。
それが一年後、帰る事に。九州に帰るのはすごく嫌だった。絶対に、転校したくなかった。初恋の人と別れたくなかったから。関西の中で京都で過ごした思春期の期間が一番です。修学旅行も京都時代です。
恩人のお姉さん
私がまだ、三歳の時の話しです。母方の祖母の家に行ったら、
祖母と母は私に(迷子になったら、婆ちゃん家のTel番号と婆ちゃんの名前を云うんだよ)と三歳の私にしつこく、覚えさせた。
祖母達には感謝する。ある日、母の妹二人共にまだ10代と映画館に映画を観に行く事になった。
当時はまだ映画館のトイレは外にあった。私は叔母達にトイレまで連れて行かれたが、トイレの外に出たら叔母達は居ない。
私はトボトボと下の道に出てしまって。車がバンバン通ってる。私は歩行道をトボトボ歩いて居たら、若いお姉さんから声を掛けられた。
(どうしたの?迷子なの?)そのお姉さんは近くの交番に連れて行ってくれた。お姉さんとおまわりさんはオロオロしてる。
おまわりさんが三歳の小さい私に名前やら住所を訊いてくる。私は覚えたての祖母の名前と住所を教えた。おまわりさんとお姉さんは胸をホッと撫で下ろした様だった。
早速、祖母の家におまわりさんはTelを掛けた。私は無事に祖母の家に帰れた。そのお姉さんが私を交番に連れて行ってくれなかったら、私は今頃はどっかの施設に育って居た。お姉さんは恩人です。