若いって無謀だ
母は天然なのと無責任な性格をして居る。中2の私が(九州に行く)と言っても、普通の親は行かせないです。それも片道分のお金と妹と二人だけで。反対もしなかった。
私は京都駅に行くと駅員にしつこく九州行きのの道順を訊いて、博多で九州行きに乗り換えて、無事に九州に着いた。途端、余りの田舎に帰りたくなった。でも、帰りのお金もない。
覚えて居た祖母の家に小学生の自分に何度も行った祖母の家に行くバスの乗り道を覚えて居たので、祖母の家に着いた。1日で京都に帰りたくなった。子供って無茶するなあと思ったのは、帰りの運賃やらない、泊まる所などを全然考えてもない行動をする事だ。
田舎の一週間は長かった。京都に比べて、当時の故郷は田舎過ぎるのと活気が全くなかったのだ。黙って父に行ってしまった九州なのに、子供想いの父は帰りの運賃代をちゃんと送って来た。
ブルートレインに乗って昼の新大阪駅に父達は迎えに来てくれた。電車に乗って京都まで帰った。
二度と九州に帰るもののかと私は心に誓いました。
それが一年後、帰る事に。九州に帰るのはすごく嫌だった。絶対に、転校したくなかった。初恋の人と別れたくなかったから。関西の中で京都で過ごした思春期の期間が一番です。修学旅行も京都時代です。
恩人のお姉さん
私がまだ、三歳の時の話しです。母方の祖母の家に行ったら、
祖母と母は私に(迷子になったら、婆ちゃん家のTel番号と婆ちゃんの名前を云うんだよ)と三歳の私にしつこく、覚えさせた。
祖母達には感謝する。ある日、母の妹二人共にまだ10代と映画館に映画を観に行く事になった。
当時はまだ映画館のトイレは外にあった。私は叔母達にトイレまで連れて行かれたが、トイレの外に出たら叔母達は居ない。
私はトボトボと下の道に出てしまって。車がバンバン通ってる。私は歩行道をトボトボ歩いて居たら、若いお姉さんから声を掛けられた。
(どうしたの?迷子なの?)そのお姉さんは近くの交番に連れて行ってくれた。お姉さんとおまわりさんはオロオロしてる。
おまわりさんが三歳の小さい私に名前やら住所を訊いてくる。私は覚えたての祖母の名前と住所を教えた。おまわりさんとお姉さんは胸をホッと撫で下ろした様だった。
早速、祖母の家におまわりさんはTelを掛けた。私は無事に祖母の家に帰れた。そのお姉さんが私を交番に連れて行ってくれなかったら、私は今頃はどっかの施設に育って居た。お姉さんは恩人です。
怖かった迷子に
他人なのに
Hさんのことを時々、ふっと考えてしまうのです。虐めの問題に真摯に考えて、取り組み、毎日更新してたので
お身体が心配でした。勝手にアカの他人の私が心配して居ただけなのです。
3周忌になるから、Hさんがお亡くなりになって…想い出すのは
Hさんは本当にいい人だったこと。Hさんを好きだったTさんは今頃は、どうしてるのでしょうか。Hさんのことが大好きだった人。そこに来て居た人達のこと。今は昔。